海外での生活・仕事

外国人妻に優しくなれる本

 

子供が生まれる前、私たち夫婦は中国で暮らしていました(私が駐在員)。現在は日本で暮らしています。私も多少なりとも外国暮らしの経験があるので、妻の苦労もわかっていたつもりですが、日本で暮らす外国人は私たちには見えないところで多くのストレスを抱えているものです。

こんな思いに改めてさせてくれた本があります。
先日、読者のたこすさんからご紹介いただいた本です。

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旧ユーゴスラヴィア人の女性が日本人男性と結婚。この本には馴れ初めに関してほとんど書かれていませんが、旦那さんがユーゴに駐在している時に知り合い、燃え上がるような恋をして駐在期間終了とともに日本にやって来ました。

日本の文化、習慣、人間関係に戸惑い、日本語ができないために多くのストレスを抱えつつも、克服しようと努力した奮闘記です。

わたしのニッポン生活記―ベオグラードから東京へ

 

日本に来たらすぐ孤独

日本に戻ってからの夫は残業の日々。
その間奥さんは家でひとりぼっち。

おそらく日本に来たのは1960年代です。私が生まれたのはその約20年後ですから、何とも遠い昔に感じます。
外国人の方、それも人種の違う方が当時の日本で生活するのは並大抵のものではないでしょう。本の初めには日本の生活の大変さが書かれています。

  • 夫が帰るまでひとりぼっち。
  • ラジオが友達。
  • 旦那さんが帰宅するのを心待ちにして、帰宅したら抱きついてしまう。
  • 買い物も仕方も違う。日本では肉をパック売り。ユーゴではkg単位で購入。
  • 豆腐をチーズと間違えたり。
  • 体にあわない既製服。

辛いなあ…。

でも、彼女は持ち前の明るさで前向きに生活し、社宅の奥さんの集まりに参加したり、一緒に草むしりをしながら交友関係を広げ日本語を上達させていきました。

英語の教室の講師を務めたり、まさに自力で日本生活を開拓していったミルカさん。素敵すぎです。

英語は話せるけど当然母語ではありません。「英語を教えてくれ!」と言ってくる人に対して「私はユーゴスラビア人でアメリカ人ではない」と言っても、アメリカ人扱いしてくる日本人たちには笑ってしまいました。金髪=白人=アメリカ人という…憎めない先入観。私が中国に留学中、妻と一緒にいると「君の彼女はアメリカ人でしょ!」と言ってくる人達ばかりでしたね。

出産も日本で

双子を妊娠しましたが、生まれてきたのは一人。
妊婦への対応が病院、医師、国によって違うから妊娠期間中は本当にストレスが大きかったと思います。日本は妊婦の体重制限に厳しいですが、他の国は逆にたくさん食べるように指導することがあります。

ミルカさんの日本語はまだ拙かったであろうし、外国の病院に入院するのは相当なプレッシャー。私の妻は二人目を出産した時は日本。日本語も問題なく話せたので、妻の家族が日本にいないものの「出産するなら日本の方がいいわ~」と、母国での出産は絶対にしないと言っていました。医師の責任感や医療体制に問題があるからだそうです。

 

ミルカさんに仕事をさせない旦那

ユーゴスラビア大使館での仕事のオファーが来たのですが、夫が大反対。っていうか断っていましたね。これにミルカさんは憤激しましたが、一向に認められず。電車通勤だから、途中で道に迷ってしまうから反対していました。当時の配偶者ビザって、今と違って日本の企業に就職したりできなかったようですね。

だから、ミルカさんにとっては願ってもないチャンスだったのに。この時は一読者としてかなりショックでしたね。もし、自分の妻にこんなオファーが来たら…自分だったら大賛成です!
妻「給与はすごくいいんだけど…フルタイム勤務なの。だい、今の仕事辞めて家事育児やってくれる?」

自分「御意ぃぃぃぃぃぃぃ~っ!!!」
ってなことになるかも。

 

ユーゴへの赴任

ミルカさんは大喜びだけど、息子2人は日本の生活になれたのに転校。
赴任期間が終わったらまた転校。ユーゴでの生活では家族団らんが描かれています。読んでいて羨ましいと思いましたね。前回の記事でも書きましたが、妻の家族関係がもっと良かったら、積極的に帰国していたでしょうし、リフレッシュも出来るはずなのに。

お子さん達2人も大変でした。
転校ばかりで、友達が出来ても離れ離れ。日本に戻っても「外人、外人」とからかわれたり「ユーゴの言葉を話すな!」と言われたり。今は外国人の子供に対する、この手のいじめは相当減ったと思いますが、当時は酷かったと思います。
二度目のユーゴ駐在中は、お子さんたちはロンドンの日本人学校へ。
将来は日本で働くから、日本人的な考え方や道徳を身につけてもらいたいというのが旦那さんの意向。

結婚後20年後にようやく永住権

これにはびっくりしました。てっきり入国数年で永住権を取っているものかと思っていました。ミルカさんと旦那さんが知らなかったからなのか、それとも法律が変わったからなのか。永住権を取るまでは毎年配偶者ビザの期間更新をしていたそうです。

最近は3年、4年ぐらいで配偶者ビザを持っている方なら永住権を取れます。

外国人のパートナーの永住権を獲得しよう!

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物語後半はきな臭くなっていく…

ミルカさんの父親が死去。
ユーゴスラビアが分裂の危機に晒され、再現のないインフレーション、セルビア、クロアチアへの紛争など不幸なことが起こります。

ちょっと後半は読んでいて辛かったです。
今ままで友人同士だった人達が殺しあう内戦となり、今でも爪痕が残っていますからね。ユーゴスラビア紛争は90年代後半、99年にアメリカがユーゴスラビアにある中国大使館を誤爆したことは今でも覚えています。あの時は中国も物騒でした。

私は当時留学しており、誤爆と同時に学生たちが抗議活動。留学生の授業も数日休講となりました。白人系、黒人系の留学生は中国人から暴行を受けたり、街を歩いているだけで罵られる、言いがかりをつけられたり…と大変でした。

当時確か、ロシアが中国の味方をしていたので、ロシア人に対しては好意的でした。妻はロシア系なので、絡まれた時に「私はロシア系よ!」と言ったら中国人に「GOOD!」と親指を立てられたのを覚えています。

欧米系留学生の外出は原則禁止。
留学生宿舎の門は閉じられて、警備員も増員されていました。学生が数十人押し寄せて来た時は流石にまずいなあ…と思いました。
招聘されている英語教師(アメリカ人)、ドイツ語教師、フランス語教師は自宅(留学生宿舎)待機。ロシア人の先生だけは出勤していました。ボディーガード代わりの学生数名が迎えに来ていました。
その後数ヶ月は尾を引きました。
妻と歩いていると「彼女どこの国の人?アメリカ人?」とよく聞かれました。ユーゴスラビアでのことを蒸し返し、ロシア人と答えると笑顔になるのですが、私が日本人と知るとこれまた先の大戦について蒸し返してくる。

ユーゴスラビアのことも頭に来ているから、ついでに日本も!なんて空気が間違いなくありましたね。この期間、やたらと先の大戦について聞いてくる中国人が多かったです。

すみません…。最後は自分のことばかり書いてしまいました。

 

ミルカさんの書いている通り、日本人の配偶者として日本で生活するのは本当に大変です。今はネットが普及し、在日外国人へのサポート体制、行政もオープンになり格段によくはなったものの不自由なことはまだまだあります。

著作者:Juliana Coutinho

著作者:Juliana Coutinho

旦那さんは開明的な人!?

物語を読んでいると、ミルカさんの旦那さんにあまりよい印象を抱かないかもしれません。

  • ミルカさんの就職に反対するなよ!
  • 1年に一度くらいはリフレッシュ帰国させてやれよ!
  • 日本語学校とか通わせてやれよ!
  • 寂しい思いさせるなよ!
  • 全体的に…もっと優しくしてやれよ!

しかし、外国人女性を本気で惚れさせ、結婚にまで踏み切らせた彼の魅力。結婚にまでいたる煩雑な手続きを一生懸命やり、当時の日本男子としてはオープンな方で細々したことに気がつく人だったと思います。

一時帰国についても、お金のこともあり難しかったのでしょう。再入局許可やら何やら今と違って面倒くさそうですし。日本語学校についても当時はほとんどなかったと思うんですよね。就職に関しては、雇用均等法がまだ出来る前だったと思うし、女性の社会進出なんて考えられなかった時代です。

中でも一番つらいのが、旦那が出勤している時。
私もよくわかります。妻と子供を一人にして働いている時は不安でしたし、寂しい思いをしているんじゃないかと思っていました。そのため、日本語教室を探し、外国人の友達と知り合わせる事によって、かなり生活が変わりました。授業以外にお茶会もあったし、週末は家族ぐるみででかけたり。

外国で知り合って、日本の長期生活未経験の奥さんなり彼女なりを日本に連れて来る時に一番心配しなければならないのは、あなたが家にいない時間です。
この本を読んで改めて自分の妻の苦労がわかりました。この本を読むと自分の奥さんや彼女さんに優しくしてあげようとする気持ちが起こりますよ。私も妻に優しくしてあげようと思いました。1週間くらいは優しい気持ちが続きそうです^^

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